星期二, 4月 13, 2010

空気人形


生命的價值在於"心"的有無,儘管您的手心是多麼的溫暖,沒有軀殼裡面的那顆心,那對於任何事情其實都不再重要了

但,真的是如此的單純嗎?

人到底是為了自身而存在還是因為別人而存在?
假如只是為了自身而存在沒有別人的陪伴、肯定的給予、相互幫忙、彼此關懷...那是否真的可以一個人活在這個世界上呢?
假如只是因為別人才能顯得自身的存在,那個人本質上的意義又在哪裡呢?

to be or not to be?


生命は (生命 可能是)
自分自身で完結できないように (無法以自身之力成功的完滿)
つくられているらしい (而被創造出來的)
花も (好比花)
めしべとおしべが揃っているだけでは (就算將雌蕊與雄蕊聚集)
不充分で (也不足夠)
蟲や風が訪れて (仍需昆蟲與微風的造訪)
めしべとおしべを仲立ちする (連繫起雌蕊與雄蕊的關係)

生命はすべて (生命本質上)
そのなかに欠如を抱きけ (便懷有重要的匱缺)
それを他者から満たしてもらうのだ (並從他者的存在而完滿)

世界は多分 (世界 或許是)
他者の総和 (所有他者的總合)
しかし (然而)
互いに (我們彼此)
欠如を満たすなどとは (對於自身這份重要的匱缺)
知りもせず (毫無自覺)
知らされもせず (也未曾被告知)
ばらまかれている者同士 (原來 我們是這樣被播散的種子)
無関心でいられる間柄 (總是冷淡的距離)

ときに (然而有時)
うとましく思えることさも許されている間柄  (再難忍卻也能維持住的關係)
そのように (就這樣)
世界がゆるやかに構成されているのは (世界被巧妙的構築了)
なぜ?  (何故?)

花が咲いている (花盛開著)
すぐ近くまで (近身一看)
虻の姿をした他者が (便發現像馬蠅這樣他者的存在)
光りをまとって飛んできている (在光線的纏繞中飛舞著)

私も あるとき (曾幾何時 我也 )
誰かのための虻だったろう (成為誰的馬蠅吧?)

あなたも あるとき (曾幾何時 你也是)
私のための風だったかもしれない (得以完滿我的那微風吧?)


~吉野 弘 『生命は』 ~


另外值得一提的是攝影監督是曾多次和侯孝賢導演、王家衛導演合作過的台灣人李屏賓


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中文版預告
Making of『空気人形』
日本首席電影美術大師種田陽平 打造【空氣人形】超現實的奇幻場景

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